つばさ(・)>の徒然草

つばさなの(・)> つれづれなるままに、ひぐらし、MacBookAir とかのモニターに向ひて、心に映るほとんど誰も気にしないようなことをそこはかとなく書きつくれば、いみじうこそ物狂おしけれ(´・)>

合併して市になる前に人口 1 万以上の町村がひとつもなかったケース: (1) 砺波市

1950, 1960 年代の昭和の大合併期に市制をした市の中に、市制前には人口 1 万人以上の町村がひとつもなかった市が、割とたくさんありました (合併して市になる前に人口 1 万以上の町村がひとつもなかったケース)。

この時代、市が成立するための人口要件は 3 万人なので、そのような市の中核町村として 1 万人はかなり小さいように思えます。中心市街地の面積が非常に小さかったり、その市街地が複数町村に渡っていたり、などの状況が想像されます。ともあれ、とにかく気にはなるので、その沿革を追ってみることにしました。

砺波市

  • 1954 年 4 月 1 日 市制 (市制直前は礪波町)

  • 市制直後: 36 377 人, 390.8 人/km2
    (1955 年 10 月 1 日 国勢調査人口)

  • 市制直前の最大人口町村: 東礪波郡出町, 6 868 人 (1950 年 10 月 1 日 国勢調査人口)

  • 市制前の各町村の人口 (1955 年国勢調査時の砺波市域の, 1950 年時点に存在した町村 (1 町 15 村) の 1950 年のデータ)

町村名 人口 人口密度 推定面積
1950 年 1950 年 1950 年
出町 6 868 1 135 6.05
中野村 2 048 273 7.51
油田村 1 875 473 3.96
庄下村 1 570 434 3.62
五鹿屋村 2 006 452 4.44
林村 2 377 414 5.74
南般若村 1 593 900 1.77
柳瀬村 1 342 381 3.52
太田村 2 120 419 5.06
東野尻村 1 943 430 4.52
高波村 1 865 379 4.92
栴檀山村 1 773 124 14.34
栴檀野村 2 003 212 9.47
般若村 2 806 273 10.27
東般若村 2 209 436 5.07
鷹栖村 2 407 466 5.17

ほとんどの町村は人口 2000 人程度で、中心の出町は人口は一つ飛び抜けていて人口密度もかなり高いです。南般若村のように人口密度が高く面積の小さい村もあります。全体としては典型的な砺波平野の散村地域で、ほとんどが水田耕作に適した土地で人口もかなり多いようです。ところどころに散村地域の中心になる町があって、その最大のものがこの地域では出町だったのでしょう。南般若村も小さな商業中心があったのかも知れません。

砺波市は、このあと合併が遅れた若林村を併合して、昭和の大合併を終了します。平成の大合併では庄川町と合併します。

  • 関係する沿革 (市制まで)
日付 変更後 変更前
1954.3.1 東礪波郡礪波町 東礪波郡礪波町
東礪波郡栴檀山村
東礪波郡栴檀野村
東礪波郡般若村
東礪波郡東般若村
1954.1.15 東礪波郡礪波町 東礪波郡礪波町
東礪波郡南般若村
東礪波郡柳瀬村
東礪波郡太田村
東礪波郡東野尻村
西礪波郡高波村
1952.6.1 東礪波郡庄川町 東礪波郡東山見村
東礪波郡青島村
東礪波郡雄神村
東礪波郡種田村
日付 変更後 変更前
1952.4.1 東礪波郡礪波町 東礪波郡中野村
東礪波郡油田村
東礪波郡庄下村
東礪波郡五鹿屋村
東礪波郡出町
東礪波郡林村
1948.4.1 東礪波郡鷹栖村 西礪波郡鷹栖村
1948.4.1 東礪波郡林村 西礪波郡林村
日付 変更後 変更前
  • 関係する沿革 (市制あと)
日付 変更後 変更前
1955.1.10 砺波市 砺波市
東礪波郡鷹栖村
1957.9.30 砺波市 砺波市
西礪波郡若林村の
一部*1
2004.11.1 砺波市 砺波市
東礪波郡庄川町

*1:残部は西礪波郡石動町編入