コロナ禍の顛末おぼえ書き
2023 年 1 月 12 日(書きかけ)
世の中全体としての雰囲気が「コロナ禍を終わらせよう」になってきている.その科学的医学的根拠は不明.個人的には「4 歳以下」・「5–11 歳」の各年齢区分でのワクチン接種率がある程度の値になることが要件だと考えるが,そうはならないらしい.本日現在のワクチン接種率は,「4 歳以下」が 2.7% で,「5–11 歳」が 23.7% である.11 歳以下でワクチン接種が全く進行しておらず,この年齢層が COVID-19 の「感染導波管」もしくは「感染のハイウェイ」となっている可能性は極めて高いと思われる.
最近の 1 日あたりの COVID-19 死者数は過去最高を示している.これは,感染者数が過去最高レベルに達していることが原因であると思われる.その理由は,上記の 11 歳以下の集団(小学校・幼稚園・保育所など)が感染の温床になっていることのように思われる.一般に,ある感染症で「社会免疫」が獲得されるのは,社会全体の 70% の人口が罹患し免疫を得た時と言われる [要出典].したがって,COVID-19 にかかり得る全ての年齢層で満遍なく 70% 以上のワクチン接種率を達成しないと,COVID-19 の大規模な流行は収まらないと想像できる.したがって,上述の「感染導波管」仮説があり得る.
以上のうち,客観的に確実と思われるのは下線部を引いた箇所のみである.それ以外の箇所は仮説に過ぎず,今後,医学的(疫学的?)検証が必要であると思われる.おそらく,医療関係者のマジョリティの「感想」としてはかなり正しいように思える(この文も自分の感想・仮説である).
合併して市になる前に人口 1 万以上の町村がひとつもなかったケース: (4) 熊野市
熊野市
1954 年 11 月 3 日 市制
市制直後: 30 819 人, 124.8 人/km2
(1955 年 10 月 1 日 国勢調査人口)市制前の各町村の人口 (1955 年国勢調査時の熊野市域の, 1950 年時点に存在した町村 (1 町 7 村) の 1950 年のデータ)
町村名 | 人口 | 推定面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|
1950 年 | 1950 年 | 1950 年 | |
木本町 | 6 090 | 3.89 | 1 566 |
荒坂村 | 2 366 | 12.57 | 188 |
新鹿村 | 4 311 | 26.30 | 164 |
泊村 | 2 179 | 10.66 | 204 |
有井村 | 6 657 | 32.42 | 205 |
神川村 | 2 993 | 59.41 | 50 |
五郷村 | 2 641 | 39.74 | 66 |
飛鳥村 | 3 389 | 62.79 | 54 |
- 関係する沿革 (市制まで)
日付 | 変更後 | 変更前 |
---|---|---|
1954.11.3 | 熊野市 | 南牟婁郡木本町 南牟婁郡荒坂村 南牟婁郡新鹿村 南牟婁郡泊村 南牟婁郡有井村 南牟婁郡神川村 南牟婁郡五郷村 南牟婁郡飛鳥村 |
1897.5.31 | 木本町 泊村 |
南牟婁郡木本町 |
- 関係する沿革 (市制あと)
日付 | 変更後 | 変更前 |
---|---|---|
1957.10.20 | 熊野市 | 熊野市 南牟婁郡神志山村 (大字久生屋 大字金山) |
2005.11.1 | 熊野市 | 熊野市 南牟婁郡紀和町 |
中心地の木本町の面積が小さくて人口が大きくならず、南隣の有井村の方が人口が大きくなったパターン。泊村は北隣。ただし、木本町と有井村北東部の井戸町の市街地はほぼ連続しているので、木本町と有井村の一部は一体の都市とみなしてよさそう。荒坂村、新鹿村は沿岸部北東側に少し離れている。飛鳥村は少し内陸、神川村、五郷村は内陸最奥部。神志山村大字久生屋および大字金山は、有井村有馬とほぼ連続した平地と思われる。